仏教の教えに思う

仏教を信仰するとか、救われるという事は未だに未知の世界だけれど、学問として聞くにはなかなか面白い。とても合理的、かつ人が人である限り理屈じゃそうだけどさー・・・という部分は絶対に無くならない、と思う。つまり死んだら仏になるって言うのは「うん、そうかな」「バカは死ななきゃ治らない」と一緒かな、死ぬまで煩悩にまみれて生きるんだな、と思う。そもそも煩悩がなくなったら人は生きていけない気もするし。

ま、ともかく、自分のことは棚に上げて、自分ができないからお願いした事をやってもらえないとイライラするもので、自分のするべき事はしないくせに、「なかなか動いてもらえない」「まだかなぁ」「それってそんなに優先順位の低い事なのかなぁ」「したくないのもわかるけど。。。」と考えても仕方のないことにヤキモキしたりしている。いやいや、仏教的には自分の今する事に集中しようよ、と思うものの、それをさておいてもヤキモキに頭が支配されていたりする。でも考えてみれば大した事じゃないし、命にもかかわらない、どうと言う事でないのかもしれない。ヤキモキするのは自分の言う事を聞いてくれない、ってところかもしれない。

最近記憶力低下を恐ろしく実感する事が多いので自分の記憶に自信はない。無いのだからもっと注意を払うべきなんだけど、それも忘れるので色々と困る事があるし、物がなくなったり、なくなってないのかもしれない、どこに入っているのかわからなかったりで、必要なものが必要な時に出てこない事が多い。こんな狭い家で。今探しているのはピアニカ。数年前に買ってもらったピアニカをクリスマスパーティで使おうと言って持って行こうとしたら、どこにも見当たらない事が判明した。使った事なんて数えるくらいしかなく、ずっとピアノ室の床、ピアノの上、本棚あたりを行き来してたんだけど見つからず、使ってないから、いつからないのかもわからないし、いやーどこに行ったんだろう。持って出かけることなどなかったと思うので、きっと家の中にあると思うのだけれど、そう考え出すと本当に持って出る用事はなかったか?その記憶が不安になる。困ったもんである。

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