向き不向き

クラリネットはクリスマスに合奏をして以来、一度も組み立てていない。腕前からして・・・一人で吹いて楽しいはずもなく、でも、そう考えたらピアノだって音楽が楽しめるってほどの腕前でない。ただ義務でも仕事でもなんでもないのに、ピアノだけは弾き続けてきたという事が不思議だ。すると姉が「向いていたんだろう」と言った。

確かに組み立ての必要がなくて、使った後の掃除の必要もなくて、思い立ったらすぐに音が出せるピアノという楽器は、そういう意味では向いていたと改めて思う。上手下手に関わらず、とりあえず鍵盤を押せばそれなりの音が出るというところも良かったかもしれない。

ただもしも私も姉のように「音大に行きたい」と思ったりして、姉がやったような3年間をやっ「たら」、ピアノが好きなんて言えたかどうかわからない。。ま、「たら」であって、あれは私には絶対に不可能だ。私がピアノ好きでいられたのは姉のお手本あってこそかもしれない。母に音大に行きたいかと12歳の時に打診された。目指すなら姉の経験から少しでも早い方がいいと思ってくれたのだと思う。受験までに5年あることになる。でもその時に私には姉のようにはできない、あれは真似したくない、と思ったのだ。音大へ行きたいとはこれっぽっちも思わなかったし、ピアノを専門にやりたいとももちろん考えなかった。学校以外はピアノ、ピアノ、ピアノの練習。絶対に無理、遊びたいし、と思ったのだ。
で、お稽古はやめたのだけれど、映画音楽を教則本に変えてなんとな〜く弾き続けていた。弾いてヨシ、弾かなくてもヨシ、上手い下手を言われる事も、どうしろと言われる事もなかったゆえに続いていたのだと思う。今は音楽会に行ったりして耳が少しは肥えたので、自分が弾くときに音楽の良し悪しとか理想みたいなのがあることが辛い。それもなかった子供時代は常に自己満足の世界にいられたんだから、無知は自分にとっては悪いことばかりじゃなかったなぁと思う。

それが何がどうして、短大の2年間はそれまで何も知らなかったわけだから、弾き方を習う事で弾けるようになる事が楽しかった。けど、卒業後は遅いスタートでももう少しの間は技術が伸びるだろうといって、絶対に諦めない先生のレッスンに通い続けることができなかった。あの後に2台ピアノの会にでも呼んでいただかなかったら、ピアノを弾き続けていたかどうか怪しい。それも多少のストレスはあったけど、できないことをやれるまで練習しなくちゃならないというのとはちょっと違って「できるなりでいーよ」というところで続いたのかなと思う。

学生の時はピアノは持ち運べないから試験でも演奏会でも練習してるのとは違うピアノを弾くわけで、持ち運べる楽器を羨ましいと思ったけれど、持ち運べる楽器は組み立てたり、掃除したりとメンテナンスが大変だという部分は考えた事もなかった。変な羨ましがり方をしてごめんなさい。それが分かっただけでもクラリネットに関わった意義ありかな。今週は練習しよう。たまには箱から出さないと。。。

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