今回、運転できない彼を乗せて出かける時に、本当に煩くて「乗せたくない」と思った。
他人の頭の中はわからないので自分と同じように運転しないと不安なのはわかる。例えば彼のブレーキタイミングは私よりもずっと遅いので、止まるつもりなのか、気がついてないのかは私には彼がブレーキを踏むまでわからない時間があるように、彼にとっての私の運転もそうなのだと思う。
今日は私が医者に行くのに便乗して仕事をしてくるつもりだったらしいが、自動車に乗ってからオフィスが開いていないと返事がきたと言う。つまり彼は乗っていかなくて良かったのだけど、もう走り出していたので待合室で待つと言ってそのまま走った。この時期、道路工事がとても多く、1箇所片側通行で信号機がついていた。確かに私の前の自動車の動きは微妙だったけど、黄色になったので止まろうとしているようだったので私もその自動車に倣おうとすると「行けるよ、前の車は変だ」と隣から言われ、確かに今ついていけば事故にはならない、と言うタイミングだったので追い越しをすると直ぐに「止まれ」と今度は言う。何事かと思えば「信号が赤だから」って・・・そんなの知ってた。でも、行けって言ったじゃん、、、で、スペースはあったけど、変な位置で止まった。故に信号が青になっても私には見えない場所だったので後ろが動き始めたら・・・と言うタイミングを見計らって動いた。そこから直ぐに街中に入るのでスピードリミットが30に、そして学校があるので20になるエリアに入った時「ほら30」とか言われた時にはいい加減ムッとして「😤」と思う気分でブレーキをかけずに自然減速で知らんぷりしたら、そこにお巡りさんがいた。病院に行くのに右折したら・・・あーあーついてきた。ピカピカ赤い電気も付いている。「なんで止めたかわかるよね」と優しくお巡りさん、「はい」と免許証と自動車の登録証を差し出しチケットをいただいた。書き方を教わると、ここは「イエス」ここは「ノー」で郵送すればいいって言われて、よく読むとその書き込む場所はNot Guiltyという項目で、イヤイヤ・・・腹が立って確かに速く走ったのにこっちでいいのか?と思う項目だった。
でも大昔に知り合いから「僕は必ずNot Guiltyで罰金払った事ないよ」という話を聞いた事を思い出した。結局裁判所に行くとチケットを切った警官が来ることは珍しく、ま、ほとんどないらしく、そうすると罰金を払うことなく終了するらしい。中には「有り得ないような言い訳で切り抜ける」なんて話も聞いたことがあるけど、そんなことがまかり通るのかと不思議に思う日本人である。罰金を払うとなるといくらかなぁ、、と心配するところだけど、彼はしきりに「I’m Sorry」これは謝罪ではなく「お気の毒に」の方のSorryだと思うけど、イヤイヤ自業自得である。
先日も「うるさい」と言ったらしばらく黙ったけど・・でも、こんなに煩かったか?歳とって酷くなってるのかも。