ファミリーツリー

家系図っていうのをこちらに来てから時々見かける。以前義姉に誰と誰がどう繋がっている、みたいな話を聞いたけど、アメリカ人の名前を覚えるのは至難の業で、全く右から左だった。まぁ関心が薄いというのも大きい。だって自分の生まれた家の事だって一緒に暮らした祖父以前の人などほとんど知らない。祖父の兄弟だって、あんまり知らない。

私の母は70歳で他界したのでもう20年以上になる。去年、母の弟である叔父が亡くなり、叔母一人を残すだけになった。姉も私も母の親、祖父母を知らないので話を聞くなら今しかない、と日本へ戻った姉は早速叔母を尋ねたらしい。姉からあまり鮮明でない白黒写真が送られてきた。家族写真を見れば母とその姉はすぐにわかったものの、あとは「?、もしかしたらこれは・・・」という感じ。存命の叔母と母は父親が違うので、もう祖父の顔を知る事はできないのかなと思う。祖母の顔は母と似ている。遺伝子ってすごい。
ただこの写真の祖母の年齢は?と考えて、もしかしたら私より若い頃なのかなぁと思うと微妙。叔母とのツーショットを見て、叔母の年齢を考えると、私よりも若いのかなと思うものの、どう見ても自分より年上にしか思えない。ま、冷静に鏡を見れば自分の方が上かなぁ?

家族の数だけいろんな家族があるわけだけど、改めて随分と変わった家で育ったのかな、と今回姉と話した。父も母も個人の意思や都合でなく「家を継承する人」という役割でそこに置かれ、でも時代が変わったので祖父の死後は全てが一転した。母がそこで費やした何十年かを考えると悔しかっただろうと思うけど、でもおかげで母はその後には自分のやりたい事ができたんでないかと思う。本人も「良かった」と言ってたし。

ただ自分のやりたい事ってなんだろう、自由ってなんだろうとアメリカに来てから随分と思う事があった。自由という名の不自由というか、やりたい事をやって良いと言われても、これまでの考え方をそう簡単にひっくり返す事はできないので自分で自分の事を考えるというシンプルなことが結構難しいと思った。日本のように役職社会、家族の中でも妻らしく、母親らしくとか、こんなくらいの事をしていたら「普通」みたいな目安がある方が楽な部分もあるかなと。ただそれも普通は十人十色で万人が同じでないからなんとも言えないけど。みんなが幸せって、案外に難しい。こちらに在住していた女性の一人が国際結婚の極意を「忍耐よー」と表現してた。私の母と同年代、昭和一桁生まれで海外に渡って15歳だったか20歳だったか年下のアメリカ人男性と結婚したその人の人生は自由奔放でなかったかと想像したけれど。良いことと悪いことが半分づつなら⭕️なのかもしれない。ただその秤がどっちに傾くかはとても繊細なことだと思う。

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