と言うようなYouTube動画を今朝見た。ニコラ・テスラという人の1800年代中頃から1900年代の人の話らしい。昨日、物を捨てたい衝動に駆られると書いたばかりだけど、その衝動はサインのひとつだとあった。人生に対しても根拠のない安心が生まれるとか。過去の後悔を受け止められるとか、人間関係が入れ替わるとか、どれをとっても特別な事ではない気がした。60代を待たず、私など根拠のない安心は二十代くらいからあったし、こうして遠くに引っ越せば人間関係は嫌でも入れ替わる。嫌いな人とは付き合わないと心に決める出来事もあったので、そういう人は自然に離れていく。職場の人間関係ならば切るのが難しくても60代というとそろそろ退職年齢だし、そしたら人間関係も変わるだろうと思う。後悔する出来事というのもその判断は自己責任だし今更どうしようも無い。それでも時間が経てば記憶が薄れるが如く、思い出す事も、それで気分が重くなる事も減る。忘れるわけではないと思うけど。おかげで静かな毎日である。話の中身は「確かに」と思うけど、高度成長期に育った私には60代でって部分が当てはまらない話かな?なんて思った。私より10歳くらい若いと就職氷河期なんて言われる時代で、そういう人から見る私はとても「のほほん」としているように見えるらしく「普通にやってたら一生安泰と思えた世代でしょう」というようなことを言われた覚えがある。その通りで、なんとなく学生時代が終わったら仕事して、結婚して子育てして・・・みたいな事が自然にやってくるような気がしてたかも。その通りにはならなかったけど、今でも「なんとかなる」という根拠ない安心感というか、別に不安というほどの不安もない。むしろ危機感が必要だろうと思うくらい。この安心感は私の大好きな他力本願で、その他力あってこそなのだけれど、その他力は生涯私を安心させてくれると根拠なく信じている。
これは時代や生い立ちからくる物なのか、遺伝子的なもの?
でも人生いろいろ。何が良いと聞いたとて、できるかどうか、どう受け止めるかも色々。過去を振り返る時「あの時もう少し頑張ってたら」とか思っても、頑張れなかったのが自分なのだし、頑張らなくて良かったんだとも思ったりもする。だって頑張り続けるのにはエネルギーが要る。それだけのエネルギーがなかったわけだから。自分の本当にしたい事なんていうのも未だに良くわからないけど、毎日目先の事に追われながら、その中でできる事をしながら「面白い」と思える事があったら良いな。
