人付き合い

私の姉は未だに嫁であり息子の結婚により姑になった。嫁苦労、姑苦労、人と関わるところには苦労がつきまとうのだなと思いつつ、こういう事に煩わされる時間って無駄だろうな、と思う。だって、おそらく、大抵は報われない時間なんじゃないかと思うのだ。悩んだり、嫌な思いをして報われたって話を聞かない。ま、報われた人はもう悩まないから言わなくなるだけなのかもしれないけど、あの苦労のおかげで幸せな今がある、って話は聞かないな。

私は子供がいないから親の気持ちにはなれないわけで、今の若者の話を聞く時に、自分の20代、30代、40代の事を考え、あー自分もそうだったかな、と思う事がある。そこに悪意がないのがタチが悪い。悪意どころか当然と思っていたり、自分に想像力が欠如してる事にも気が付かない。ま、いつでもそうだけど、その時の自分の事で一杯なのだ。おそらく今も。100歳くらいまで寿命があった時には自分の傲慢さや「若気の至り」としてかたずけたい事がこの60代にもいっぱいあるのだろうと思う。

姉の縁あった息子のお嫁さんはかなり変わった人っぽい。親との関係が良くない、絶縁状態だそうだけど、暴力を振るわれたわけではなさそうだし、飢えずに食べて、学費なども払ってもらえたのだとしたら、他人は少々優しくしてくれてもそんなことはしてくれないだろうから、どんな親だったかはともかく、親ならではの事をしてくれたんではないだろうか。人生初の人間関係でつまづくとその後には色々な苦労がつきまとう。でも運が良ければ、子供を持った事でこれから色んなことを学んでいくんだろうと思う。学校の勉強、知識で良い仕事に就けたり、おかげで良い収入を得たりできるわけだけど、心の成長って全く別物で、こちらも育たないと衣食住揃っても不満は消える事がないのかなと思う。

そういう私は人付き合いが全くダメである。海外に来てからはますます孤独が深まっている。でも一人も好きだから孤独を感じるほどの孤独感はない。鈍感は時に宝である。そして、それほどダメでも友達は0でないし夫もいる。

そしてこちらは夫と義父との関係が悪化しているので、今年は父の日無しらしい。そういえば、5月の義父の誕生日を私はすっかり忘れていた。彼は「僕は忘れてないよ、でもしなかった」だそうだ。根が深い。こんなに近くに居るのに、と思うが。私はどうすべき?なんて事も少し考えたりするんだけど、今更いっか、でほっておく事にする。彼が顔を見せに行かない事を言われても面倒だし。ただ今年92歳の義父だから、もしもの時に彼が後悔しないなら良いなと。私たちの結婚当初、義父はこれで息子と当時は義父のカールフレンドだった現妻との関係が良くなる事を期待する、みたいな事を私に言った。義父は息子と自分の彼女の関係がよくない原因は自分自身にあるとも言っていた。どのくらい本気でそう思っていたかは定かでないが、この10年の私の見立てではその言葉通りであると思う。

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