今週は気温が少し上がる

一日中氷点下の日から日中が3−5℃くらいまで上がると、とっても暖かく感じると思う。今日はまだ氷点下だけど体が慣れるのか昨日よりも寒くない気がする。

昨日は隣の州のレストランで日本人ランチがあった。同じ町から出かける人の自動車に乗せてもらった。フルタイムの仕事をしている人なので近いところに住みながらもあまり顔を見る機会がなかったのだけれど、今は冬休み中という事だったり、娘が大学生になり日曜の日本語補習校に行かなくなった事でこういった時間が持てるようになったのだと思う。外国で日本語を維持するというのは思うよりずっと大変なことで、見ていると日曜に補習校へ通うという事は親子共にすっごく頑張らないと続かない事だと思う。2−3年の間、仕事の都合でこちらにきている家族などは日本へ戻るのがわかっているから戻った時のことを考えて子供を補習校へ行かせるという人もいれば、子供の年齢を考えると2−3年なら補習校へ行くよりも旅行などに時間を使いたいという人もいる。でもこちらで生まれ育った日本人がどのくらい必要かどうかと考える日本語を勉強するって相当に頑張らないとと思ってしまう。

昨日は子供の大学受験の話に「日本の受験と違う」という事を久しぶりに実感。今の日本の大学事情は知らないけれど、私の時は試験に受かるかどうかが第一で、それと親がお金を出してくれるかどうか、だったと思う。話に出てくる金額80000ドルとか90000ドルは1年なのか、4年なのか?4年だって安くないと思うが・・・一年の金額だそうで、こんなに払えるってどんな人!と思う金額だ。ただ成績優秀者にはスカラシップと言われる補助金が出るので、それが大きな助けになるらしい。このスカラシップを取るために高校時代からコツコツと勉強して成績を維持しボランティア活動に参加したり、スポーツもやって頑張るという話を聞いた事があるけど、日本で私たちがいう内申書を良くする努力、まず目立った悪い事をしない、なんていうレベルでない。子供二人大学に出すと考えたら御殿が買える。おまけにスカラシップは大学4年間成績を維持しないと貰い続けられないらしい。勉強ができればそれなりに優遇措置はあるものの本当に厳しい、お金に厳しいアメリカだ。そして多くの学生は学生ローンなるものを利用するので、大学卒業後にはローン返済が待っている。そういった、お金に関する話を親子でしっかりする必要がある。

このお母さん、数年前に旦那さんが突然亡くなり、現在1馬力で頑張っている。そしてこの親子の年齢が私と母の年齢差で、彼女が旦那さんを亡くした年齢がほぼ私の母が一人になった年齢と同じだと思う。若いお母さんに見えるが、私の母もこんな年齢だったのだなと思ったり、彼女が娘の事を話す時には自分の親もこんな気持ちだったんだろうかと重なる事もあり、ちょっと耳が痛かったり、若気の至りで済ましては申し訳ないほど感謝の気持ちって薄かったと思う。なかったかな? なんか、当たり前みたいに受け取ってた色んなこと。

日本語を話すランチ会だけど、やっぱりこっちの方が長い人は自然に英語が出てしまうようだ。日本語の方が辿々しい。私は英語が上達しない上に日本語も使わないから話す能力は落ちていて両方危うい。話のテンポにどちらもついていけない。日本語は楽に聞けているはずなのに、思考回路が英語になってしまっているような。。。

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