有名人の追悼式

リンカーンセンターには3つ会場があり、追悼式のあった部屋は中サイズの部屋らしい。何人くらい入れるのか、何人くらい人がいたのか確かでないけど、部屋の感じから300人くらいは居たんでないかと思う。Appel room という部屋で、ステージの後ろ側は一面ガラス張りでNYの街が見渡せ、私たちが見たのは昼間の景色だけど、夜のコンサートでの夜景も綺麗だと思う。そこにバンドセットとスクリーンが一枚セットされていた。会場の後ろにはレセプションテーブルが用意されていて、セレモニーの後はそこでワインなどを飲んで自由に歓談。

セレモニーは甥っ子の話に始まり、仕事関係の人の逸話が多数、おそらくパンフを作った後に来賓が増えたのだろう、パンフにない人の話も多くあり、2時に始まったセレモニーは5時半くらいまでかかった。予定を1時間くらいオーバーしたと言っていた。話、長い・・・って思ったよ。話の後にボストン在住、日本人女性ピアニストのピアノトリオ、サックス2本のクインテット、そして別なピアノトリオの3つの演奏、娘の話で締め括った。ミュージシャンは皆、アーマッド・ジャマルさんにゆかりの深い人達らしい若い人が多かった。若いというのは私くらいの年齢も含む。なんたって亡くなった方は91歳だし。中にひとり、歩くのに介助が必要で見るからに高齢の男性がサックスを吹いた。上半身は健康なんだろうと思う良い音だった。おそらく来る予定ではなく飛び入り、始まる前に周りの人にこんなコード進行でこうしたら入って。。みたいな指示をしていた。それでやれるっていうのが凄い。

この3時間半の中の長い話、私にわかる部分は非常に少ないのでより長く感じたと思う。ペンシルベニアで生まれ育って、10歳でリストの練習曲が弾けて、14歳で大人のバンドに混ざって地元で演奏してたのだと思う。20歳でシカゴに出て地下室のような所に住み1時間80セント?の仕事、そして仕事の紹介者には50ドル払う?というような話から、ピアノでどなたかにスカウトされてジャズ生活、多くの人と関わり、もちろん多くの女性とも関わり、ジャズ音楽にどれだけ貢献したかって話など、皆それぞれに思い出があるらしく話が尽きない。でもやっぱり最初と最後の身内の話が私には面白かった。有名人ではない部分。ね?、私が理解したのって1分もかからない。

とにかく大変だったけど出かけられて良かった。11月にしては暖かい良い天気だった。

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