気温が下がった

このところ肌寒さを感じるくらいの気温になってきた。今日から9月。薪ストーブの世話になる日も近い。

秋には9月末、11月上旬と織物イベントがある。すっかりやる気のない一年になろうとしている。でも、イベント参加を止めたらすっかりお休みしてしまいそうだし、食っていかねばと思えばまた違う緊張や必要もあるかもしれないけど、そんな物でもないだけに、ダラダラし始めるとキリがない。今は名簿のアップデートが最優先課題になっているけど、これが終わったらちょっとは何かせねばと・・・気持ちは思うものの具体的に考えられない。何か良いカンフル剤でもないものか。

一昨日店番に出かけるとスモールギャラリーの個展が変わっていた。今は会員さんがひと月場所を使っている。焼き物で手書きの柄が個性的。改めてプロフィールを読むと学校でアートをやったとかではなく、自己流ってやつらしい。個性的といってもベースになる個展的なデザインはあるようだけど、その手描きの精密さに驚く。

そうそう、私の母方の祖母は織りをやっていたそうだ。織り機を見たら「鶴の恩返し」を思い浮かべるくらいしかイメージのなかった織物を祖母がやっていたとは知らなかった。というのも、母は私たちをあまり母の実家へ連れていかなかったし、私の物心ついた時に祖母は既に他界していたから会ったこともない。私が織物が見たほどに苦痛でなくできたのはそんなDNAが入ってたのかな。とあるネズミ実験で親ネズミが経験したことが子供に引き継がれる現象があるというのを聞いた事がる。

皆自分の環境が「普通」と思っているのだと思うけど、私も私の家が特に変わっていると思った事はない。でも、少し周りが見えてくると「違う」と思うことはちょっとある。母が母の実家にあまり行けなかった、母の兄弟ともあまり付き合えなかった事から母方の従姉妹とはほとんど付き合いがないし、父方の叔父叔母とも祖父が亡くなった後の相続以来付き合いがない。私が子供時代しか知らない父方の従兄弟達も皆ジジババになっているんだろう。むかーし、「こういう家は珍しいんじゃないか、みんな多かれ少なかれ色々問題を抱えながらも付き合っているのが常なのに随分と情の薄い家だと思う」と姉が言ったことを思い出す。でも相続でお金を分けるのに縁を切るまで争ったのだから仕方がないし、私の見えていた範囲でも当然の結果だと思う。立場が違えば言い分も違い、そこを思いやる事ができたら付き合えるし、そうでないならそれを我慢して付き合う必要はないと思う。お金の問題ではない、当時を振り返るに、祖父が亡くなるまで出来の良し悪しはともかく母を長男の嫁扱いしてきたのに、死んだら平等というのはとてもおかしい。法的には父のする相続に母は関係ないけど、家行事のために働いてきたのは母だ。と思うので、私は父の兄弟の行った事を法律が変わったのだから、とは思えないのだ。こういうのが感情の難しいところ。子供当時の私には大人って汚い、そんな大人になりたくないと思った記憶がある。近所の大人も他人の不幸は蜜の味というが如し、子供相手に好奇心むき出しであさましく醜いと思っていた。当時は人間不信、人間嫌いだったと思う。自分も将来そうなるのかと考えると恐ろしかった。そうなりたくない、と思っていたわけだけれど、そんな気持ちもすっかり忘れているような気がする。

アメリカの日常会話では初対面の相手のことを色々尋ねる。もちろん当たり障りのない範囲で話すわけだけど。でも、私はなんとなくそれらの質問が心地よくないので、自分から質問をしなかったりする。すると、彼は「君は他人に興味がないんだね」という。そして確かにあまり興味はないのかもしれない。でも、おそらく当時の経験が他人のプライバシーに関わる質問をするのを躊躇させているのだと思う。もちろん相手が話すのは止めないけど。

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