彼の叔母さんの葬儀

彼のお母さんの妹でお母さんとは10歳くらい歳が離れていたそうだ。何回聞いても右から左で記憶が怪しいのだけれど、彼のお母さんはこの妹が生まれなかったら末っ子だったのだと思う。お兄さんが3人、姉と妹が一人づつといっていたか、今生存しているのはテキサスにいるお兄さんとここから近いところにいるお姉さんの二人だ。テキサスの叔父にはここから近いところに住む叔母の90歳の誕生日パーティで会った事がある。何回か会ううちにようやく続柄やら何かが少し頭に残るようになったけど、相変わらず名前は覚えられない。その何回かというのは、叔父の葬儀、従兄弟の葬儀、上記の叔母の誕生日パーティという具合だし、満足に話もできないわけだから記憶に残らないのも仕方がないと思う。

叔母は4月5日に亡くなったそうだ。葬儀は叔母の住んでいた町の教会で15日の午後1時から行われた。牧師さんの話、家族の話、合唱、ベルの演奏などで和やかに1時間くらい、その後は教会の別室で立食パーティというのかな、式に集まった人たちが叔父やそのご家族に順に挨拶にいきながら、飲んだり食べたり。声をかけてもらえたので、この後に亡き叔母の家にも立ち寄ってきた。これまた10年くらい前に一度出かけた事があるはずなのだけれど、こういう家だったか?と全く記憶が無いものの、通された部屋から見える隣室にはなんとなく記憶があるような気がした。叔父の家族がたくさん集まっていて、寂しいことはなさそうだと思った。こういう時に家族がいっぱい居るって良いものなのかもと思った。叔母は80でアルツハイマーを患っていたそうだ。教会の場所を確かめるのにインターネット検索をした時に見た叔母の写真は「こういう人だったか?」というふうに思えたのだけれど、教会に飾ってあった別の写真には合点がいった。そうしてから見れば同じ人の顔だとわかるけど、人の顔というのは表情で随分とイメージが違うのだと改めて思った。叔母の家に行くと赤い骨壷が写真と一緒にテーブルに置いてあった。遺灰は教会に納められるらしい。

彼のお母さんの遺灰は小さな建物の棚に収められている。ここへは2009年にご挨拶に出かけたきりだったので、叔母の街から1時間半くらいだから足を伸ばした。ただ、帰宅することを考えるとかなりの遠回りだった。キリスト教の人にとってお墓とか、こういった遺灰を収めるマンションみたいな場所がどんなものなのかわからないのだけれど、花を持っていくわけでなし、水を手向けるわけでなし、本当に行って来たというだけ。教会のように人が集まる場所でないし、なんだか寂しいような気がする。なんであんなに遠くに置いてあるのか。休みなしに自動車を走らせても3時間はかかると思う場所。14年ぶりのお参り。
私の母のお墓にはもっと行ってないかも?2015年には行ったんだっけ。。。でも、お位牌の紙はカード入れに入っているので、彼女の心残り「外国には行ってない」の外国に居る。

ここに住んで既に13年。あっという間である。この街で叔父の葬儀に参列したのが最初で、それ以外に親族に会う機会というと長生きを祝う誕生日パーティ、上記叔母の90歳、ここの義父の80歳、90歳もするのかと思っていたけどそういう話はなく今年は92歳になる。元気そうだけど、やっぱり歳かな、今年はもうコミュニティバンドに参加しないそうだ。そう聞くとちょっと心配である。

昨日、4月16日、ジャズピアニスト、アーマッド・ジャモール92歳の訃報記事を見た。毎年5月頃に調律に出かけていた。彼が調律師になってからずっとだそうだから、30年くらいのお付き合いなのかな。去年は耳が悪くなっていたのだと思う、調律後すぐに「音が変だ」と言われ2度出かけたような記憶が。ある音が変に聞こえるらしく、「この和音、この音が変だ」というような話で、耳が聞こえなくなるというのは単に「聞こえない」と想像していたけれど、聞こえ方が変になる、私たちには聞こえない音が聞こえる、というような事が起こるのかなと想像した。
16日はドライブしながら彼のCDを聴いていた。彼のコンサートはボストン、NYC、ピッツフィールドと3回出かけた。

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