ピアノ調律師グループ朝ご飯復活?

コロナの前からなんとなく集まらなくなっていた調律師朝ごはんの会が久しぶりに行われた。いつだったか、結構遠くまで出かけて、6人集まる予定だったのに結局4人で朝ごはんをしたのが最後で、具合の悪い人がいたり、なんだり・・・とご無沙汰になっていた。今日は8人が集まり賑やかに朝ごはんを食べた。もう一人グループに呼ばれている人がいるのだけれど、その人は滅多に出かけてこない。今日は来月の予定を決めたので、また毎月集まろうということになるのか。。。男性陣が調律師で女性はそれぞれの奥さんだ。私はほとんど誰とも繋がりはないけれど、話を聞いているとおそらくそれなりに連絡を取ったり話をしたりしているのだろう。

朝食会の後にピアノを見に来て欲しいというお客さんのところに立ち寄った。音楽大学をピアノ専攻で出た人だそうだけど、弾き方を見ると土屋クラスにはいないタイプの演奏スタイルで、でも弾きなれた曲を弾き始めるとまるでCDのようだ。音に対するこだわりが人並み以上、ちょっと病気かと思うくらいのこだわりで、タッチや弾き方ではなくてピアノ自体にもそれを求めているような感じを受けた。なので、次から次へとピアノを買い替え、手を入れ、それでも気に入らないとまた売って買い替え・・・というような事を繰り返しているらしい。今回はいじっている最中でアドバイスを求められたらしい。音だけでなく、外見も大事でピアノに合わせた足つきのピアノベンチを特注したり、そのこだわりが半端でない事を見ても実感した。今は油絵を描いていて、なんだかそっちが本業のように見える。絵のことはわからないけれど、こちらも個展を開いて申し分ないような美しい絵が並んていた。そんなにお金があるならばNYCのお店で新品を弾き比べて好きなのを買ったら良いのにと思うけど、どうも古いピアノが好きみたい。持っていたピアノ1890年とか1912年とか言ってたか・・・1912年ものは鍵盤が軽くて反応も良く、音の響きも良いピアノだった。いらないなら私が欲しいくらいだけど、うちには入らないサイズだにゃー。1890年と言ってたか・・・そっちは鍵盤が85のピアノだった。マサチューセッツ州にピアノミュージアムがあるらしくピアノの歴史を体感できるらしい。見るだけじゃなく弾いても良いのだそうだ。ベートーベンの時代のピアノとかあるらしい。行ってみたーい。今日はその2台でちょろっとシューマンの2台ピアノを弾いた。練習してないけど弾いたことがあるからなんとか。。。先方はまだ練習してないと言ってたからちょうど良かったかも。

その彼の好きなシューベルトソナタを楽譜付きで内田光子さんの演奏を聞いたのだけれど、ここで何調に転調して、ここは・・・とどうやら鍵盤なしで楽譜が読めるらしい。土屋クラスではそういうのが普通みたいだったし、そういう勉強はしたけれど、そんなの2年や3年で身につかず、楽譜を見ても音はわからないし、臨時記号で部分的に転調しているようなところなんて、短調か長調かを見極めることも難しい。鍵盤に写して音を聞かないと始まらない。ま、今からそれができるようにはならないと思うので、もうそこはすっかり切り捨てていくけれど、ソナタ形式っていうのも説明できないなぁ。習ったけど考えて弾いたことないし。2年学校で何してたのさ、と高い学費を出していただいて・・・と思う時「私は何知らないのだ」ということを学んだと思う。

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