自慢をしているつもりはないけど、大病でない、命に別状ない体の不具合は「あー、それそれ、私もやった」みたいな話で盛り上がれる年齢になった感じ。共通の話題?
数年前に彼のお姉さんが食事の時に錠剤の山を取り出すのを見て「あーはなりたくない」と言うような話をした。錠剤の中には必要な薬もあったんだろうけどほとんどはサプリメントらしく、きちんと食事を摂ればいらないものもあったかもしれない。私は彼を見て、アメリカ人は錠剤に頼りすぎ、サプリメント大好きなんじゃないかと思うところがあったので、その彼が「あーはなりたくない、あれは病気だ」と言ったのだから驚いた。
ただ最近は私たちも毎朝錠剤を取り出すようになった。私はビタミンDとアレルギー、彼はそれプラス血圧降下剤をとっている。気がつけば・・・そういうことで、これって始まりかもしれない。
50肩も私の周りにいる人が大体同年齢か年上なので、結構多くの人が経験していて、セラピーに行くと痛いことされるよーなどと随分脅かされた。確かに痛かったけど、すごく効果はあった。でもこういうのも時期があるのかもしれないと最近思う。治る時期というような。そういう時に手助けがあると楽に治れるのかもしれない。なんでなるのだろうと原因を検索したところ「はっきりしない」という事で、多くの人が織りをやりすぎたんじゃないかと言ったけれども、肩が壊れるほど織物をした覚えはなく、本当に心当たりがなかった。それも時間をかけてじわじわと悪くなり、一体どこまで悪くなるのか、痛みに耐えかねて病院へ行ったけど、注射かセラピーしか選択はなく、それも病院の不手際でセラピーを受けるまで随分待たされた。ただ早く受けてたら早くよくなったかどうかは疑問で、保険の関係でセラピー継続の手間もあり「自宅療法で様子を見て」とセラピストに勧められ、もちろん私のことなのでそれっきりなのだけれど、もう悪くはなってない。2−3年で元どおりになれば良いけど、痛くないように動かす癖のようなのもついているので、意識しないと思いがけず小さな動きで済まそうとしていることがある。気がつくのはピアノを弾くときに右腕が左に動かなかったからだと思うけど、無意識に座る位置が随分と左に偏って座っていて、弾きにくいよりも痛くない方を選んでいたのだと思う。元に戻すには意識していろんな事をやっていかないといけないと気がついた。ただこれも体が「いつまでも若いと思うなよ」という警告を発信しているのだと思えば、痛くない限り、可愛いもんかもしれない。
こういう事もDNAに入っているのか、今姉が50肩だという。もー50じゃないだろうって事で、つまり体はちょっと若いってことかもね?私はちゃんと呼び名にふさわしい年齢で経験した。姉は痩せてるし適度に運動もしているようだから体年齢は若いのかも。でも私はまだ「石」を経験してない。これは兄姉の二人が経験してるので私もなりそうなもんだけど、運よくまだない。痛いって聞くので恐ろしい。知らない言葉を話す医者に何かをされるのも怖い。が、いざとなったらそんな事も言えないのだなと思うといつまで経っても話のわかるようにならない我が身が切ない。たったの10年、医者いらずと思っていたのがお世話になることが増えた。今更だけど言語に限っては勉強する以外に克服の道がないとするとまず無理だ。。10年できなかったことがこれからの10年でできるはずないというのが普通だと思うし、その場その場でなるようになるしかないなと。
ただ年齢なりの初体験が増えてる。